☆はじめてのちかば旅行☆

<行程>

東京駅    通勤ラッシュの少し後かな・・・スーツ姿の人の密度が低くなりました。本当に朝の電車は殺人的ですよね。日頃頑張っている人ほど、旅行に行ってのんびりできたりすると、有難く感じられますよねぇ。
 今日は半年以上も前からお願いしていた、皇居内の見学の日!一般の人は入いれない所も見せて頂けるとゆうことで、わくわくしすぎて待ち合わせの時間よりかなり早く来てしまった。
 少し人間ウォッチングしていたら、M氏登場!いよいよ車で皇居へ・・・。  
皇居  まずは二重橋を見学。この辺りだと一般観光客もフツーに散策できます。砂利があって歩きにくかったけど、それは昔の防犯センサーだと聴かされ納得!ここへ来るとつい歌っちゃうのよねぇ〜島倉千代子の「東京だよおっかさん」・・・。えっ、私だけですか?
 次に本丸広場へやってきました。皆さんは役所や学校が半日で終る事をなんで「半ドン」って言うか知ってます?皇居の広ーい芝生の上に「午砲台跡」と いう石碑があります。明治時代はここに大砲があってお昼に大砲を ドンと打って時刻を知らせたのが「半ドン」の由来だそうです。「午砲台跡」のそばに「松之大廊下跡」があります。これぞ年末恒 例忠臣蔵で浅野内匠頭が吉良上野介に「フン、田舎侍め!」と散々なぶられ、「おのれ吉良、成敗してくれる!」と、刃傷(にんじょう)に及んだ場所です。
 
 いよいよ桔梗門から皇居内部へ・・・。宮内庁病院隣の馬場の一角に、馬車が納められた建物があります。数あるなかでも天皇陛下ご成婚パレードに使用された馬車はとてもシックで美しかった!その先には庭園課の職員が精魂込めて育てている植物たちがあり、盆栽はどれも素晴らしかった。
 車で移動中、草がうっそうと生い茂っている一角がありびっくりしていると、そこは昭和天皇のお住まいだった吹上御所がある場所ですよとM氏が教えてくれた。「昭和天皇は自然は自然のあるがままがお好きだったんです・・・」へぇ〜。



赤坂御苑へ  皇居を後にし、英国大使館の前を通って半蔵門にきました。この辺に滝廉太郎の住居跡があるんだけど…あ、あった! なになに、高札を読むと… 荒城の月の他に鳩ぽっぽ、花(春のう ららの隅田川…)、箱根八里(箱根の山は天下の険…)も滝廉太郎だ ったんですねー。 明治12年生まれの36年没。ということは、24歳で早死にしたんです ね。うーん、24歳とは若すぎる。 そして、この場所も今はマンションが建っています。
赤坂御苑  春、秋の園遊会でおなじみの赤坂御苑へやってきました(^o^)v ここが東京の中心だということを忘れてしまうくらい静かで緑に覆われたところでした。木々の隙間からこぼれる光がとってもやさしくて、ここにいると誰もがゆったりした気分になれる、そう思いました。
 著名人になんなきゃ一生入れないところと思うとかなり得した気分。すっかりその気になって写真をパチリ!するとM氏が、「その辺りに天皇陛下がお立ちになられますよ」というのでまたパチリ!!すっかり満喫しました(^o^)
 「運がよければ皇族方にお会いできるかも知れませんよ」と言われ、苑内を一週。「今日は遇えませんでしたね。残念。」 帰りかけたそのとき、向こうのほうに人影が。な、なんと!ジョギング中の皇太子殿下!!ただ驚き慌てふためく私にお言葉をかけていただき、その人柄に感激!一瞬にして皇室ファンになりました。(私って、ミーハー!?)
 あとで聞くと、ジョギングは約10キロを週3〜4回、テニスもよくなさるとのこと。ビオラの演奏とかいろいろな式典でのイメージが強いので、あまり運動はなさらないと思っていたけど、身体もちゃんと鍛えていらっしゃる・・・。私たちの知らない殿下の一面を見ました。

出光美術館 赤坂御苑を後にして帝国ホテルのラウンジでティータイム。やっぱりここは落ち着くし、なんと言っても眺めが良い!高い所から見る皇居もいいなぁ〜。M氏とはここでお別れ。本当にありがとうございました!!
続いて、出光美術館へ・・・私ってほんと、タフだなぁ〜。
ちょうど、仙国T師展をしていたので覗いてみました。なんだかとってもかわいい(!?)書画ばかりで、そこに描かれた絵や言葉のひとつひとつが、すんなり心に響いてくる・・・そんな感じでした。

Sengai ○△□
仙豪`梵(1750〜1837)は、臨済宗
古月派の僧。横浜保土ヶ谷・東輝庵
に住する月船禅師の法嗣となる。
そして諸国行脚ののち39歳の時、
博多に下り、翌年聖福寺の住持となる。
文化8年(1811)62歳で法席を退いて
虚白院に隠棲し、人々に詩文や書画を描き与えた。禅の境地をわかりやすく
説き示す軽妙洒脱でユーモアに富んだその味わいは、人々に広く愛されてきた.
谷中霊園
上野からすぐそば、日暮里の谷中霊園に徳川慶喜のお墓があります。 園内はとても広く慶喜のお墓を見つけるのはちょっと一苦労でした。 (^^; ぼんやり見ていたらボランティアの人がおもむろに寄って来て、こんな事を話してくれました... 昔、家康が秀吉の命令で江戸に移って来た時、江戸は一面の湿地帯 で、家康は幕府を作る前にまず灌漑から町作りを始めました。家康は江戸の町を作るにあたって京の都をモデルにしました。鬼門である北東の方角にはそこから京に鬼が入って来ないように比叡山延暦寺があります。家康は北東に東叡山寛永寺を作りました。昔は上野公園一帯は寛永寺の境内でした。又比叡山の麓に琵琶湖があるように家康は上野に不忍の池を作りました。 それから260年、家康も偉大だったが慶喜もまた立派な人でした。 趣味の多彩な人で、何をやってもすぐに上達してしまう。目鼻立ちのきりりとした美男子で、頭の回転も早く時代の流れを鋭く読み取れる人でした。大政奉還が無血で行なわれた事で、慶喜の時代を見る目がいかに優れていたかが分ります。もしも慶喜が凡庸な人だったら必ず戦になって多くの犠牲者が出ていたことでしょう。慶喜は 大正時代になくなりました。歴代の中で1番の長生きで、2番目に長生きしたのは家康です…。話が進んで、慶喜の孫娘が高松宮妃と教えてくれました。 「あぁ、知ってますよ。2002年の秋だったかな、心室細動で亡く なった人の奥さんですね。」と知ったかぶったら 「それは高円宮ですね。」と苦笑されてしまいました。 はぁ〜あ。こっぱずかしかった。(*^_^*)

一葉記念館 5,000円札の顔は、新渡戸稲造→樋口一葉です。結局やっきょく新渡戸稲造が何やった人か分った人は少ないけど樋口一葉は知られてるよね。「にごりえ」「たけくらべ」…ね!…読んだ事はないけど (笑) ということで一葉記念館にきました。 記念館には櫛やかんざし等一葉の遺品や作品が展示されていました。 一葉の家は大変貧しく、生活はかなり苦しかったようです。生活苦を何とか打開しようと雑貨屋を始めたけど素人商売で仕入れより安く売ってしまったりお釣りを間違えたりと、うまくいかなかった様子が日記に残されています。私はこの話でなんとなく一葉に親近感を覚えてしまいました。又一葉はかなり年上の師匠との恋の噂もあったそうです。一葉は明治5年東京で生まれ、29年に肺結核でなくなりました。24年の短い生涯でした。この間に「にごりえ」「たけくらべ」以外にも約4000首の和歌を残しています。(しんみりと詩を書いてるような気持ちで)一葉って明治という時代をあまりにも早足で駆け抜けて行ってしまった人なんでしょうね… ちなみにこの頃の文化人って病気で早死にした人が多いですね。正岡子規、石川啄木…滝廉太郎もそうだし・・・

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